ディズニー映画「リトル・マーメイド」実写版がひどいってホント?セバスチャンがカニ過ぎる??

リトル・マーメイドの実写版がひどいという口コミはどんなのがある?人気の脇役セバスチャンが?

・アニメ版では脇役は魚やカニの可愛いキャラクターで描かれている。

実写版の脇役たちはリアル過ぎて可愛くない。

・物語が違っがっかり?エリックは王子さま?

リトル・マーメードの実写版とアニメ版との違いを、脇役と物語の面からみてみよう。

リトル・マーメイドの実写版がひどいってホント?3匹の名脇役、セバスチャンがカニ過ぎる!

ひどいという口コミに、脇役の姿がリアルすぎる!という声が多かった。

リトル・マーメイドには、アンデルセン童話には無い3匹?の名脇役がいる。

アニメ版アリエルは、脇役たちとおしゃべりして幸せをつかんでいく。

実写版ではどうか見ていこう。

 

重要な脇役では、アリエルの親友の魚のフランダー。いつもアリエルと一緒にいる。アニメ版のフランダーは可愛いキャラクターだった。実写版では「リアルな魚すぎて可愛くない!」との口コミ。当たり前だが”魚”で平べったい姿には当然の評価だろう。

また、フランダーの役どころにも、存在感が薄いという厳しい口コミだ。アニメ版ではアリエルといつもおしゃべりしていて物語にも大事な役割があった。それが実写版でははっきりしない。がっかりという評価にもうなづける。

アリエルのすることに口をはさむセバスチャン。アリエルの父で海の王トリトンに仕える宮廷音楽家で、トリトンからアリエルのお目付け役を頼まれてるセバスチャンはカニ?…制作側はロブスターと言っている。どちらにせよ、お目付け役ながら、アリエルのいうことにうなづいてしまうお人よしのセバスチャンは、根強い人気キャラクターだ。アニメ版の姿は、大きなハサミと皮肉な口の姿。個性的で印象が強い。こちらも実写版は「アニメ版と比べると、“カニ”すぎる!」との口コミ。リアルな姿に戸惑いが大きかった。役どころではカニは話せないことで、アニメ版には無い名シーンが生まれたようだ。アリエルがエリックに自分の名前を教えるシーンで、実写版セバスチャンは名前を言えない。すると、アリエルは星でエリックに教える。知的なアリエルを印象付けるシーンになっている。

3大キャラクター脇役の3人目がスカットル。アリエルに陸の世界を教えるかもめである。実写版では強烈なラップを躍り楽しませてくれた。

実写版での3人は、アニメ版ほど物語に欠かせない存在とは言えない。もしリアルでなく、キャラクターだったら?そうも考えてみた。ディズニーは、安易にリアルな海に合わないキャラクターを登場させたりしないのだろう。

リトル・マーメイドの実写版がひどいってホント?これまでの実写版の脇役たちは?

これまで発表されたディズニーの2つの実写版「アラジン」「美女と野獣」。これらでは、脇役たちは架空の産物でも、それなりの姿で物語の進行に関わっていた。

リトル・マーメイドには原作『人魚姫』があると冒頭に書いた。その原作のアンデルセン童話にはいない3人の名脇役。彼らを登場させて、アリエルの心の動きを表現し、物語を楽しく明るいものにしたのは、ディズニーである。つまり、『人魚姫』と「アニメ版リトル・マーメイド」は別の物語である。「実写版リトル・マーメイド」も、アニメ版と違う物語なのである。こう考えれば、脇役たちの存在感が無いのも理解はできる。それにしても、アニメ版と比べてしまうのは当然のこと。役どころがないなら、セバスチャンファンや脇役ファンにとって、登場しない方が良かったと思う。

リトル・マーメイドの実写版がひどいってホント?原作の結末、アニメ版の結末、実写版では?

リトル・マーメイドは、ディズニーが1991年にアニメ版で公開した人気の名作である。人魚という想像の生き物や海の国と華やかな城の王子という舞台設定だ。この物語の元は、デンマークのクリスチャン・アンデルセンが書いた童話『人魚姫』である。

アンデルセン作品をはっきり原作とは言いにくい。ディズニーが、アンデルセン作品とは逆の結末にしたからである。アンデルセンでは、人魚は王子の愛を受ける願いが叶わずに泡となって消えてしまう悲しい結末。しかしディズニーは、王子と結ばれるハッピーエンドにした。

筆者はこのアニメ版を見た時、結末にたいへん驚いた。しかし世の中の人々は、このアニメのヒットで、デイズニー版しか知らない人も多くなった。つまり、元のアンデルセンの方を知られないくらい、人魚姫と言えばディズニーでしょという人が多い。それほどこのアニメ映画は有名なのだ。

ディズニーがこの結末にしたのは、願い続ければ夢は叶うというディズニーのテーマの表現と言える。ディズニーの制作意図によるものである。このようにディズニーは、制作意図の為には世界的に有名な童話作家の話ですら、変えてしまうのだ。

リトル・マーメイドの実写版がひどい?アリエルが結ばれるエリックは王子様じゃないの?

人間の世界に憧れている人魚アリエル。父親から禁じられているが興味を抑えきれず、人間が来る陸や船の近くに行く。そんなことから、アリエルは海におぼれた人間のエリックに出会う。そして恋して、結ばれることを夢見る。

アニメ版では、エリックは、船上舞踏会を催す華やかな世界の王子様という設定だ。アンデルセン童話から引き継ぐ舞台設定である。1837年に発表されたアンデルセンの『人魚姫』は、実際の城を舞台として書き上げられた。身分の違いがはっきりしていた古い時代である。王子様のキラキラした上流階級の世界、その王子と結ばれるのを夢見るヒロインは一般階級や別世界に生きている。そういった設定で、ディズニーは何作品も”ディズニープリンセス”を生み出してきた。

対して実写版のエリックは、王子ではあるが、単に一つの島の王国の王子にすぎない。華やかな世界とは無縁で、民のことを想っている。そして、未知の世界を探求したくて航海に出ることを望んでいる。しかし、母親から航海を禁じられているのだ。アニメ版と違う王子像である。これに賛否両論のようだ。

リトル・マーメイドの実写版がひどい? 家族の物語

このように実写版では、アニメ版にはなかったエリックの母親セリーナ女王が登場する。これによって、二人は似た境遇になっている。父親から陸に近づくことを禁じられているアリエルと、母親から航海にでることを禁じられているエリック。人間と人魚で別世界ではあるが、同じ境遇にしたことで先の身分の違いのような印象があまりない。アリエルのエリックへの想いも、上流階級に憧れるからではない。エリックという人物への想いということが、はっきりしている。

多くの家族が登場し、物語の進行に大きくかかわっているのも、実写版の特徴だ。
人間の世界に近づくのを禁じているのは、母親が人間に殺されたからという設定である。海の掟のようなアニメ版と異なる点だ。アリエルに魔法をかけ、自分のものにしようとするのは叔母だ。アリエルが危機の時には父トリトンがその身を犠牲にする。家族であるが故の葛藤がアリエルの自立を色濃くしている。

身分ではなく人物本位、似た境遇など、エリックもエリックに恋するアリエルも、次第に自立していくのが実写版だ。エンディングは、二人で航海に出る。実写版は、身分を問わず、自分の意志で自分の人生を歩む自立心の大切さをテーマにした。

リトル・マーメイドの実写版がひどい? ディズニープリンセスアリエル

実写版アリエルは強くひたむきなヒロインで、たしかにアニメ版とはまったく違う印象を受ける。リトル・マーメイドという同じタイトルの映画にしても違う映画の印象である。つまり、アニメ版と実写版の大きな違いは、時代とともに変わってきた“ディズニープリンセス”像の変化の現れともいえる。ディズニーは進化している。今回もディズニープリンセス像をアップデートしたのだ。

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