『アラジン』のジーニー、ランプの魔人になった理由 最後は人間になれる?

映画『アラジン』は1992年アニメ版発表。2019年には実写版が発表され、大ヒットした。ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ制作のファンタジーである。

主役アラジンに負けない青い魔人ジーニーだが、

魔人になった理由と、ジーニーとは何者かを探っていこう。

『アラジン』実写版でジーニーがランプの魔人になった理由が解る?ジーニーが1000年いたランプはジーニーの小さな家

ジーニーは、歌って踊って、と楽しいキャラクター。

ジーニーがランプから出ると飛びまわるのは、

ランプの中が窮屈だからである。

冗談が好きなジーニーは、ランプを”ごくせま(極狭)”の家と言っている。

ジーニーは小さなランプから解放されたいと願っている。

 

さて、悪役のジャファーが自分の欲望をランプで叶えようとして、

魔人になって、

結局は小さなランプに閉じ込められた。

こんなことからだろう、ジーニーも何かして悪いことをして魔人にされたのか?と思う人がいるようだ。

『アラジン』ジーニーがランプの魔人になった理由は実写版のセリフと歌にヒントが!ランプの精GENIEとは神話の知的な精霊

ジーニーは「GENIE」というスペルで書く。

これは、アラビアとムスリムの神話に出てくる知的な精霊なのだそう。

人間や動物の姿になって現れるという。

 

アニメ版の『アラジン』では、

ジーニーが初めてランプの口から飛び出したシーンが印象的だ。

空に浮く突然の青い大きな体に驚いているアラジンに、

ジーニーはいろいろな体に変身しながら自己紹介!

神話のとおり、自由に変身できる力があるというわけだ。

ジーニーは自分から、

ランプに住んでいて、

宇宙で一番力を持っている魔人だと、言っている。

 

映画でもともとこの単語「GENIE」を使っている。

発音はもちろん、”ジーニー”だ。

この発音がジーニーを名前だと思ってしまう元かもしれない。

アニメ版でも実写版でも、日本語吹き替えや日本語字幕だと、

この単語を常に「魔人」と訳しているから、ややこしい。

 

実写版のジーニー登場のシーンの自己紹介で、

アラジンが「もくもくした青い巨人」といったのを、

ウイルスミス演じるジーニーはこう答える。

「Nono、I’m not Giant! I’m GENIE
(ノーノー、私は巨人じゃない!私はジーニーだ)

日本語吹き替えでも字幕でも「私は魔人だ」となっていて間違ってはいない。

ただ、

アラジンから呼ぶときに「ジーニー」を名前のように呼び掛けている。

これで、ジーニーは名前で、魔法のランプの話をする時は魔人という言葉がつかわれて、

2つが別物のように思われてしまったようだ。

 

『アラジン』実写版映画がジーニーが何者か解りやすいと思うのは、

これも、最初の自己紹介でジーニーは、

「ジーニー、願い事、ランプ。ピンとこない?」と、アラジンをからかって言う。

この直前にジーニーは、アラジンから「いつからランプに居たか」ときかれて、

1000年間と答える。

1000年前から今までの間、何人ものご主人様がいて、みんな、お金・権力というパターンがきまった願い事があるから、ランプのジーニーを呼び出したことが解る。

逆に言えば、ランプの魔人がジーニーと呼ばれていことも分かるのだ。

 

つまり、

私はジーニーです、とは、

私は「GENIE」です、だ。

しつこく言うが原文の意味だと、私はジーニー(というランプの精)です、と言っている。

つまり、ジーニーはもともとランプの精だ。

生まれつきランプの精で、

映画『アラジン』のヴィランス(悪役)国務大臣のジャファーのように、

悪いことをして閉じ込められたわけではない。

『アラジン』ジーニーがランプの魔人になった理由はランプから出た時に紹介したアラビアンナイトが鍵!

アニメ版のジーニーの自己紹介の歌に、

「アリババと40人の盗賊」「アラビアンナイト」などの言葉が出てくる。

「アラビアンナイト」は、日本では『千夜一夜物語』とも呼ばれている。

これは、イスラム世界の説話集で、語られた沢山の物語を書物にまとめたものだ。

後に何回か出版された時々で、入っている物語が違っていたりするそうだ。

 

この説話集の第731夜~第774夜の物語に魔法のランプが出てくる。

『アラジンと魔法のランプ』の物語である。

 

ディズニーの映画はこの「アラジンと魔法のランプ」をヒントに作っている。

実写版では、オープニングに”アラビアンナイト(Arabian Nights)”が歌われて、

ジーニーの自己紹介の歌には「アラビアンナイト」の言葉はない。

ディズニーとしては、この映画の原作が説話集「アラビアンナイト」ではない、というスタンスなのだろう。(ディズニーが、『リトル・マーメイド』はアンデルセン童話(説話を書籍化)を原作とは公表していないのと同じだろう)

 

アニメ版では、ランプのある洞窟のシーンに出てくる行商人”ペドラー”も、

実はジーニーである。

アニメ版のジーニー役の声を担当したロビン・ウイリアムスが、

このペドラーの声をやっていることから噂になったことだ。

ペドラーはジーニー、これが正しいことを製作のクレメント氏は200年代になってインタビューで答えている。

『アラジン』ジーニーがランプの魔人になった理由とジーニーをランプに縛られている印のジーニーの金の腕輪

ジーニーの両腕には、金の腕輪をしている。

幅があって光るので、実写版では装飾も見事だ。

この腕輪は、実は大きな意味をもっていた。

 

腕輪と言えば、物語の最初に。

アラジンがジャスミン姫から腕輪を盗む。それが二人の出会いになる。

ジャスミン姫は、退屈な城か抜け出してきて、街にいたのだ。

貧しい青年アラジンが、王女のジャスミン姫と知り合うきっかけになったのが、

ジャスミン姫の腕輪である。

イスラム圏の衣装は頭のターバンだど独特だが、

腕輪も大きくて独特だ。

 

アラジンは最後の3つ目の願いで、「ジーニーに自由を!」と言った。

感動のセリフだ。

その瞬間、ジーニーの両手から金の腕輪が外れて、落ちていき、

粉々の金粉となって、ゆっくりと消えていく。

筆者はこのシーンが好きだ。

 

大きな体のジーニーに、装飾品の中でひときわ目立っていた腕輪は、

鎖は無くとも、

筆者には、牢獄で両手を鎖でつなぐ腕輪を想像させた。自由を拘束する腕輪である。

『アラジン』ジーニーがランプの魔人になった理由と悪役ジャファーが魔人になった理由は全く違う!

アグラバの国を自分のものにしようとする悪役のジャファーは、

アラジンからランプを盗んで、願いを言う。

ランプをさする人がジーニーのご主人様という決まりだから、

ジーニーのご主人様は、ジャファーになってしまった。

願いは、一人に付き3つまで。

 

ジャファーは、3つ目の願いで失敗してしまう。

 

最初の願いは、

「この国の国王にしろ!」

2番目の願いが、

「世界で一番力のある魔法使いにしろ!」

これらの願いをジーニーは次々と叶える。

しかしジャファーはこれでも満足しない。

アラジンに「一番強いのはジーニーで、ジャファーは2番目」と言われ、

頭にきたジャファーは、

3つ目の最後の願いで、こう言う。

「宇宙で最も力のある存在にしろ!貴様よりもだ」

貴様というのはジーニーのことである。

 

ところで、願いの仕方は具体的でないといけない

最も力がある存在というのは曖昧あいまいだ。

あいまいな願いを聞いたジーニーは、機転を利かすのだ。

ジャファーを、ジーニーと同じ魔人にした。

ジーニーが宇宙で一番力がある(存在)。だから同じにしたのである。もし、”宇宙で一番力がある”その”魔法使い”などと願いが具体的だったならば、こうはできなかった。

ジャファーの願いどおりの、宇宙で最も力をもった存在、魔人、魔法のランプの精の魔人。

ジーニーは、魔人はランプに縛られ、ご主人様が現れるまでランプに閉じ込められる、それを狙った。

 

魔人になったジャファーは喜んで、世界を壊そうとするが、力を発揮できない。

それもそのはず、誰も願ってくれないことだから。

ランプの魔人は、ご存じの決まりがある。ジーニーが1000年もランプに閉じ込められていたように、

ご主人様がランプをさすってくれないと、ランプから出られないのだ。

こうして魔人になったジャファーは、

自分のランプに閉じ込められてしまった。

これがジャファーが魔人になった理由である。

 

ちなみに、ジャファーのランプは、ジーニーのランプとは別物である。

ジャファーが閉じ込められる直前に、黒っぽいランプが突然現れる。

この黒いランプは、ジャファーを閉じ込めようとして真っ赤になる。

 

ジャファーが入った黒いランプを、ジーニーは、魔法の洞窟で眠ってしまえと遠くへ投げる。

ここで、多くの人がはてな?となったようだ。

ランプ無くなってしまったので、ジーニーはどうなる?と。

魔法の洞窟とはアラジンが必死でランプを取ってきたあの洞窟だろう。

ジーニーはまた洞窟のランプに戻るの?と思った人も多いようだ。

 

しかし、実写版の映像をよく見ると、ジーニーのランプは黄金に輝いていて、浮彫模様がある。

対してジャファーのランプは、黒くて、模様が無い。

つまりランプは別物なのだ。

だから、ジャファーのランプを投げても、ジーニーが戻る元の閉じ込められるランプはまだあったのだ。

 

※願いのセリフは、筆者が、日本語吹き替え版から聞き取ったものである。

『アラジン』ジーニーはランプの魔人で、何でも叶えられる宇宙で一番大きな力を持っているが?

アラジンが呼び出したジーニーだが、

心清らかなアラジンが、ジャスミン王女と結ばれたいという願いに付き合ううちに、

アラジンを友達と思うようになる。

 

ジャファーに水に沈められ気を失ったアラジン。

ジーニーは魔人の決まりを犯して救う。

また魔人の決まりだが、それは、ご主人様が願ってくれないと何もできないこと。

アニメ版では、ジーニーが自分で助けてほしいんだよな?と願いを言い、

アラジンの体を揺さぶる。

揺さぶられたはずみでアラジンの頭がコクンうなずくように動いて、

ジーニーはイエスとする。かなり強引だ。

実写版では少し違って、

一日前の日付の助けてほしいという宣言書を取り出し、

アラジンの手を使ってサインする。

これも決まり通りというにはギリギリな強引な方法。

ジーニーは友達のアラジンを救うために、

知恵を働かせてくれたのである。

 

ジーニーの願いはただ一つ。

「自由になりたい」

ご主人様が願ってくれなければできない。

しかし、アラジンが危機の時、

友達を救うのも自由にできないなんて!

ジーニーは切実に、自由になりたいと思ったのではないだろうか。

『アラジン』ジーニーがランプの魔人になる理由。実写版で話題の青い体

実写版の発表前に話題になっていたのが、

ランプの小さい口から飛び出す魔人のジーニーの体のことだ。

アニメ版では大きな青い上半身が宙に浮いている。

下半身はランプの細い口のサイズ。

こんな不思議な体のジーニーだ。

実写版では、ランプの口みたいに細い体を実写版ではどう表現するのか!

公開された実写版は、期待を裏切らなかった。

ジーニー役の俳優ウイル・スミスの顔と体で、顔も体もやはり青く、大きかった。

下半身は霧のようにはっきりしないが、

アニメ版のように、早口な軽口を言いながら、宙を自由に飛びまわる。

どうしてこれができたかというと、

全てCGの技術で、表現したそうだ。

 

ジーニーが飛び回るのは、

ランプの中が狭いからのようだ。

実写版のジーニーはランプのことを、「おうち」と呼んでいる。

 

ジーニーは、願い事を何でも叶える力がある。

これは、最初の自己紹介で「宇宙で一番力がある」と言っている。

「力はおっきいけれど、おうちは小さい」と冗談だけど、

本当にジーニーはこのランプから解放されたいと思っている。

 

1000年間、小さなランプにいたジーニー。

 

実写版では、最初の出会いでアラジンがジーニーの力で洞窟から出してもらい、

ゆっくり願いを考えるシーンがある。

その時、ジーニーに聞くのだ。

「君なら何を願う?」

ジーニーの答えは即答、ただ一つ。

「自由になりたい」

その後「できるなら人間になって世界を旅したい」とも言うが、

頭の良いアラジンに、それなら「自由になればいいよ」と、アドバイスされる。

『アラジン』ジーニーがランプの魔人になった理由。ジーニーは最後は人間になれたか?

映画『アラジン』の実写版では、アニメ版にないプレリュードがある。

冒頭の海の船のシーンだ。

小さな帆船の上で、ウイルスミス演じる父親、男女で2人の子供、母親らしい女性がいる。

父親は、ランプとアラジンとジャスミン王女の話を始める。

お話を歌で綴る父親の歌声のまま、

シーンがアブラダの街に変わる。

このシーンがアニメ版の冒頭と全く違うエピローグなので、戸惑った人も多いようだ。

 

冒頭の父親と、その後のジーニーが同一人物というのは、なかなか結び付かない。

実写版にはアニメ版にはないロマンスが綴られる。

ジーニーと侍女ダリアである。

 

パーティで、ジーニーが、ジャスミン王女の侍女ダリアを探したり、

ジャスミン王女の部屋へ花束を持っていきダリアを散歩デートに誘う。

ここいらあたりが、おや?アニメ版にはなかったぞ、と思う。

 

そして最後、アラジンがジーニーを自由に!という願いで、

文字通り人間の姿になったジーニー。

驚きと感謝が落ち着くと、

ジーニーはダリアに求婚する。

 

求婚を受けたダリアは、子供について”女の子と男の子を3つ違いで”と答えるのだ。

これでやっと、冒頭の船のシーンと結びつく。

男女2人の子どもたち!

ジーニーは願い通りに、人間になって、船で世界旅行に出かけたのだ。

ダリアと結婚して、女の子と男の子を予定通りに授かった。

…どうして冒頭で登場したかの理由も分かる。

最期まで見てやっとだが。

 

まとめ。『アラジン』ジーニーはもともとのランプの魔人でジャファーのように悪いことはしていない

ジーニーが魔人になった理由を見てきたが、

何でも好きな願いが叶うとなれば、誰でも魔法のランプが欲しくなる。

主人公アラジンは、ジーニーに王子にしてもらうという願いをして、

ジャスミン姫と結婚できるならと、いっときは、権力のある王子のままがいいと思う。

それを聞いたジーニーは、アラジンが好きだったからこそ、今までのご主人様と同じように権力を欲しがるアラジンを見て悲しむのだ。

しかし、アラジンは結局は、本当の自分を偽わらない方がいいと、元の自分を取り戻す。

願った王子では幸せになれないと解るのだ。

 

願いによっては、ジャファーのように不幸にもなる。

「願うことが本当に幸せになることか?を問う物語だ。

ジーニーは魔法のランプに縛られていた1000年ののちに、

自由になった。

 

これが、願えば叶うことをいつも描くディズニー制作の『アラジン』のストーリーである。

前述の「アラビアンナイト」の『アラジンと魔法のランプ』をヒントにはしている。

ランプの魔人のところはかなり違う印象を受ける。

しかし、元々のイスラム教の文化によって語られた「アラビアンナイト」の物語については、

筆者にはイスラム文化を必要十分に理解できないので細部は語らずにおこう。

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