『美女と野獣』日本語歌詞違う?ポット夫人の歌英語和訳も違う?アニメ版実写版2つの日本語歌詞比べ”Beauty and the Beast”

ミュージカル映画の挿入歌がヒットすることが多いディズニー映画の人気作『美女と野獣』。

ヒット曲と言えば、映画の題名と同じ題の挿入歌”Beauty and the Beast(美女と野獣)”です。

映画『美女と野獣』には、1991年公開アニメーション版(以下、アニメ版と略)と、2017年公開の実写版があります。

アニメ版の日本語吹き替え版と実写版日本語吹き替え版の2つの日本語歌詞が、少し違うらしいです。

そして、元の英語の歌詞も違うということも聞きます。

2つの日本語歌詞の違いをみていきます。

さらに、英語歌詞を比べるのに、私の和訳を紹介して、比べてみてみたいと思います。

『美女と野獣』日本語歌詞違う?ポット夫人の歌|アニメ版と実写版の日本語吹き替え歌詞2つ”Beauty and the Beast”

『美女と野獣』日本語吹き替え版のポット夫人の歌は、①②2つの歌詞があります。

1991年アニメ版の日本語吹き替え版で歌われていた歌詞。
歌手は、ポプラ
【日本語訳:湯川れい子】

2017年実写版の日本語吹き替え版でうたわれていた歌詞。
こちらは、2つのバージョンがあります。
一つは、歌手がポット夫人役(岩崎宏美)。
もう一つは、プレミアム吹替え版で、ベル役(昆夏美)と野獣役(山崎育三郎)のデュエット。
【日本語訳:高橋知伽江】

1991年”アニメ版”の日本語吹き替え版歌詞。

歌手:ポプラ【日本語訳:湯川れい子】

歌詞は著作権から掲載することはできないですが、

「素晴らしい物語」から始まります。

歌詞から、まだ若いベルと野獣が、そっと、初めて、お互いの手に触れる、そんな二人の不安な様子が解ります。

そして、次第に、手を取り合ってダンスをする。

その若い二人の愛を後押しするように、ポット夫人が見守りながら歌うのです。

やっと、愛の扉が開くと歌っています。

母親のような温かい気持ちで、二人の愛が育っていくのを願うのです。

つまり、このアニメ版の日本語歌詞は、不安な二人がまさしくこれから愛が始まる、そんなイメージなのですね。

このアニメ版日本語吹き替え版が、英語歌詞と違う?と言われているようです。

その違いはなぜか、比べてみると、英語の単語と日本語の単語を照らし合わせると、どうも違うようです。

それもそのはず、日本語訳とはいえ、歌詞は一つのポエム、詩です。

英語単語の直訳ではなく、美しい詩にしています。

ただ、全体の意味としては、元の英語で語られている「愛の始まり」を日本語版で言っていると思います。

細かくみると、

英語歌詞で「時と同じように古くから巡りくる」とか「太陽が確かに東から昇るように」のように、比喩で言っている部分があります。

時や太陽は、確かなことですね。

これを日本語歌詞では、真実はただ一つというように意訳しているようです。

そんな風に、当てはまる単語の位置は違っても、小節ごとで言いたいことが、全体のどこかにあてはまったりして、興味深いです。

2017年”実写版”の日本語吹き替え版の歌詞。

2つ目の歌詞として、アニメ版から26年後に発表された、実写版の日本語吹き替え版の歌詞を見ていきましょう。

歌手:ポット夫人(岩崎宏美)【日本語訳:高橋知伽江】

アルバム:美女と野獣 オリジナル・サウンドトラック日本語版
発売年:2017-04-19 品番:AVCW-63208ディズニーサウンドトラック

こちらの実写版の日本語歌詞は、「季節は今」から始まります。

アニメ版の日本語歌詞と、この実写版の日本語吹き替え版の歌詞を比べてみると、違いは一目瞭然。

言葉が全然違いました。簡単に判ります。

それぞれ、日本語の訳および作詞を担当したのは、翻訳・作詞の専門家ですが、担当したのは、

アニメ版日本語歌詞は、湯川れい子さんで、
実写版の日本語歌詞は、高橋知伽江さん。

感受性豊かな歌詞を英語歌詞から作詞したお二人。日本語表現の美しさに脱帽です。

更に言葉を比べてみると、後発の実写版歌詞では、「過ち」や「明日得続く長い道」という”少し重い”言葉を使っています。

これから愛を育てていく若い二人に、過去やこれからの試練にも向き合いなさい、と、ポット夫人は温かく諭しているように思えます。

対して、前のアニメ版の歌詞は、なんだか甘い匂いがしませんか。

ところで、日本の歌は、音符一つに一音声を載せているメロディが多い。例えば、ドの音に「あ」、レの音に「い」といった具合です。

結果、日本語の歌詞では、言葉の数が極端に少なくなりますね。

対して、英語の歌は、一つの音符に一つの単語、あるいは1つのアクセントを載せるのが多いですね。

例えば、ドの音に「beauty」、レの音に「and(the)」、ミの音に「beast」といった具合です。(こんなことを考えるのは、私は活舌が悪いのでえこういった英語歌詞は早口で、うまく歌えないからでしょうか(笑)

英語の歌詞を日本語に訳するときには、ずいぶん制約があると推測されますね。

それになんといっても、美しい詩にしなければならないですし。

それが、直訳ではない日本語歌詞が2つも、誕生ました。

あてはめられた日本語の、なんと美しいこと!

日本語の言葉の豊富なことに驚いてしまいますね。

逆に言えば、僅か26文字のアルファベットで構成されている英語は、実は様々な解釈ができるからこそかもしれません。

『美女と野獣』日本語歌詞の違う?2つのポット夫人の歌|アニメから26年後の実写版”Beauty and the Beast”

同じ日本語歌詞なのに、2つの違いは、どうしてでしょう。

年代に関係があるかもしれないと、考えました。

アニメ版が発表されたのは、1991年。世界中が景気が良かったバブル、その崩壊が見え始めたばかりの頃です。

世相的に、シビアな雰囲気にはまだなっていなかった。

アニメ版のやわらかい優しい雰囲気の日本語訳も、その世相を反映しているように思います。

これに対して実写版の発表は、アニメ版から26年も経った2017年でした。

26年て、1世紀の4分の1も経っているのです!

世の中も変わりました。何回もの景気の浮き沈みを繰り返してきて、今までの常識も変わってしまったこともありますね。

2つの違いはその時代の反映に思えます。

やはり英語歌詞をどう訳したのか見てみると、

小節ごとの単語を比べてみると違う印象を受けます。

こちらの実写版日本語吹き替え版の歌詞も、全体の意味では愛の始まりという意味では、アニメ版と同じようです。

季節が移り行き春がきて、二人の心に愛が育つと歌っています。

めぐり合って惹かれあう奇跡と言っている歌詞は、私は特にグッときます!

会うべき人に出会った奇跡という意味があって、素敵だなあと思うからです。

過ちに気付けば明日への道が見える、という歌詞がありますが、私は「過ちに気付けば」という含みがあるのが好きです。

自分の過ちに早く気づきなさいよ、「気づけば変わるのだから」と優しく言われているみたいだからです。

何回も勇気をもらってきた歌詞です。

これって、アニメ版の20世紀では、そんなにピンとこなかったんじゃないかと思います。

自分が変わることの大事さは、それほど言われてなかったような気がするからです。

実写版は21世紀の作品です。こんな時代だからこそでしょう。

『美女と野獣』歌詞日本語違う?ポット夫人の歌|英語歌詞も違う?英語和訳”Beauty and the Beast”

英語歌詞”Beauty and the Beast(美女と野獣)”

歌手は、ポット夫人役のアンジェラ・ランズベリーです。

作詞作曲は、ディズニー曲で数々のヒット曲を作っている黄金コンビです。
作詞:Howard Ashman(ハワード・エリオット・アッシュマン)
作曲:Alan Menken(アラン・メンケン)

3つ目として比べるのは、元の英語歌詞です。

「Tale as old as time」と歌い始める歌です。

この英語版の歌詞と、日本語吹き替え版の歌詞が違うという口コミがありました。

比べるために、自分で英語歌詞を和訳してみました。

すぐ解った違いは、「愛」という歌詞。

日本語版では、アニメ版で「愛の扉」、実写版で「愛は育つ」というように「愛」という言葉をはっきり使っていいます。

ところが、英語版の歌詞のどこをみても、LOVEなど、愛を直接表す単語は無い!

英語歌詞の私のつたない訳を載せてみます。

(ずっと昔の話 きっと真実のお話)
(ずっと昔の話 きっと真実のお話)
(友達にさえ不似合いな者同士 ふいに近づく)
(思いがけずにね)
(ほんの少しの変化  控えめに言っても小さい変化に)
(お互い少し怖れて 二人共とまどってる)
(美女と野獣)

(それはいつも同じ いつも突然訪れる)
(ずっと昔から同じ ずっと確かな事なの)
(太陽が昇るのと同じくらいにね)

(時を超え繰り返す物語 古い歌のように巡り来て)
(甘く苦く 不思議だけど)
(自分が変われることに気付く)
(あなたは間違っていたことを知るのよ)
(太陽のように確か 太陽が東から昇るように確かな)

(古くから繰り返される物語)
(古くから刻んできたリズムのような歌)
(美女と野獣)
(昔のおとぎ話のように 時を刻む歌のように繰り返す)
(美女と野獣)

愛が生まれる様子や変化に怖れない勇気やら、比喩的な表現が並んでいるように思います。

内容は、これから始まる愛の歩みを予感させます。

二人が変わり始める、二人で愛の物語を綴る、全体でだいたいこんな意味でしょう。

ただ、英語の歌詞には独特の韻があります。

リズムを刻むように単語で韻を踏むのですね。

そのせいか、『美女と野獣』の歌詞では、頭に「even」を繰り返します。この部分の訳は難しかったです。

韻はリズムだから、心地よく聞こえて、つい聞き流してしまうのですけれど、

英語歌詞には、英語に必然と言われる主語述語がないですね。

一般的にも詩の解釈は難しいですけれど。

いずれにせよ、揺れ動く気持ちを、とても美しく表現している詩です。

そっと手を触れあって、そして、二人はダンスを始めるのです。

切ないメロディが、この歌のロマンチック度合いをさらに高めます。

ポット夫人が、ゆっくりとこの歌を歌い終えるシーン。

二人はお互いの気持ちを確かめ合ったように見えました。これは、私だけでしょうか。

『美女と野獣』日本語訳は歌詞違う?英語歌詞違う?ポット夫人の歌【挿入歌】”Beauty and the Beast”

ポット夫人の歌は、挿入歌です。

ミュージカルのこのディズニー作品で一番有名な歌です。

挿入歌として、どんな役割をしているのか、みていきましょう。

主人公ベルと野獣が、ホールに降りてきて、とても緊張している時に、ポット夫人が歌い始めます。

ポット夫人が2人が愛を確かめてほしいと願って、後押しするための歌です。だから、よくある自分の愛の気持ちの歌とは、意味が違います。

ポット夫人は二人を応援する歌です。

私は、この歌がこの物語のキモだと思っています。

このシーンで二人の気持ちが通じ合うことで、愛が実る結末へと、物語が進路を変えるからです。

この気持ちの表現を、ダンスの映像だけでは、びにょうなところが難しいですよね。

ポット夫人の温かく見守る眼差し、この目線で二人の気持ちを表現するなんて、うまい方法だと思います。

自分の気持ちを歌う歌は、ディズニー映画では、『アナと雪の女王』の「ありのままに」は、まさしく自分の気持ちの歌です。

他に、ミュージカルでは、『アラジン』。自分の気持ちを歌っているのが、魔法の絨毯に乗ったアラジンとジャスミンのデュエット「ホールニューワールド」。新しい世界へ行こうと二人の気持ちが一致したことを歌っていますね。

『アラジン』ではジーニーも、コミカルな歌で、「フレンドライクミー(最高の友達)」という自己紹介を歌って、自分のキャラクターを表現しています。

これらの主人公たちが歌ったのと、『美女と野獣』を比べると、ポット夫人は「脇役」なのです。

『美女と野獣』日本語訳は歌詞違う?英語歌詞違う?ポット夫人の歌【挿入歌】までのストーリー”Beauty and the Beast”

ポット夫人が歌い終わって、子どものティカップのチップに「さあ、もう寝る時間よ」とさとすシーンも、とても含みがあって好きです。

2人がどうするかは、ポット夫人はお節介はしないからです。

どうするかは、二人は自分で決めていく、というポット夫人の姿勢が好きなんです。

物語はこれまで、城にとらわれた主人公ベルは最初野獣を憎んでいました。

しかし、暮らしていくうちにベルの気持ちは少し変わっていきます。

野獣が、高い天井までの沢山の本棚いっぱいの書庫の部屋へ、ベルを案内し、ベルにそんなに気にいったならこの書庫の部屋をプレゼントすると言います。

本が好きなベルは、とても感激します。

それだけでなく、全部読んだの?という質問に、ギリシャ語だから!とユーモアで、野獣がかえしてきたりします。

そんな野獣に、ベルは見方が変わったようです。

2人で散歩したり、時折り野獣が見せる気弱で優しいふるまいにベルは気付いていきます。

野獣は最初、こんな姿では愛されないと卑屈でしたね。それが怒鳴ったりという態度に出ていました。

でも、次第に野獣も、穏やかになって、ベルの明るい態度に寄り添うようになっていきました。

そういったことがあって、二人の気持ちは通じ合ったの?と、私はやきもきしました。

そして、この二人のダンスシーンになるのです。

美しい詩の歌詞なのが、微妙な気持ちにピッタリ。

ポット夫人のこの歌と共に進む愛の高鳴りに、私はジーンときました。

この歌詞の意味が、物語に必要だったことがわかるような気がしたのです。

『美女と野獣』日本語訳は歌詞違う?英語歌詞違う?ポット夫人の歌【エンディング】”Beauty and the Beast”

4っ目、エンディングの「Beauty and the Beast(美女と野獣)」

歌手:セリーヌ・ディオン、ピーボ・ブライソン

ポット夫人の挿入歌は、映画の最後に流れるエンドロールで、再び流れます。

こちらも「Tale as old as time」から始まる歌詞です。

同じ曲ですが、このセリーヌ・ディオンの歌を、ポット夫人(アンジェラ・ランズベリー)の挿入歌と比べてみましょう。

エンドロールとは、映画の最後に、キャスト一覧の文字や、映画監督の名前やスタッフの名前などの文字だけが流れてところです。

物語が終わって、映画の余韻をなるべく長く感じていたいなあと、エンドロールのテロップを、ぼーっとずっと見ている、そんな映画はすてきですね。

さて、このエンドロールの歌は、挿入歌と比べると、リフレインするところが少し違いました。

歌詞のリフレイン(繰り返し)の部分が、こちらは多いです。何回も「Tale as old as time」が現れます。

この歌は有名なので、カラオケにもありました。

カラオケの「美女と野獣」の歌は、どっちの歌詞かと、歌ってみたところ、

後者のセリーヌ・ディオン版の歌詞の数が合うように感じました(私は、オゥオゥとかムーとかは歌えないけれど(笑))

【まとめ】『美女と野獣』日本語歌詞違う?英語和訳違う?ポット夫人の歌”Beauty and the Beast”

●美女と野獣のポット夫人の歌には、日本語歌詞は2つ。

1,アニメ版の日本語吹き替え版、2,実写版日本語吹き替え版。歌詞はまったく違いました。

作詞家も違いました。

・元の英語歌詞の和訳と、日本語歌詞を比べても、当てはまる単語は違う。

・英語歌には、同じ曲で挿入歌とエンディングの歌がある。繰り返しが違う。

ミュージカルは挿入歌は、物語の進行や演出に大きな役割がありますね。

ポット夫人という脇役のこの歌は物語の転機となるシーンでした。

お城の召使たちが、魔法でいろいろな家具や調度品に姿を変えられているのが、楽しい作品になっています。

これらのユニークなキャラクター達もこの映画の見どころで、メイド頭のポット夫人が筆頭にたってストーリー展開させています。

ポット夫人のこのココロ残る壮大な歌が、もし無かったら?実はこの物語はストーリーそのものはとても単純すぎてしまうと思うのです。

少しずつ変わっていく二人の”心の動き”、これがこの物語の流れですが、歌がエピソードを作り、単純なストーリーからは読みにくいココロの動きを表現できていると思うのです。

なかなか親しくなれない二人を温かく見守るポット夫人。二人の初めてのときめきの場面がダンスシーンで、ポット夫人が切なく歌うこの曲で、二人は踊る。うまい演出だ。

エンディングにも流れるがセリーヌ&ピーボのデュエットのエンドロール版の歌詞は、リフレインして長く更に盛り上がる構成になっていて、聞きごたえがあります。

ハッピーエンドの映画の余韻を楽しむエンドロールの時間に、温かい結末の兆しのシーンだったこの曲が流れるとしみじみともう一度味わえるのが、とてもよかったです。

こちらが、第64回アカデミー賞歌曲賞受賞です。

まさにディズニーを代表する名曲になりました。

この歌がこの映画テーマ曲。この歌は今やディズニーの代表曲。

カラオケにもあるので気になった人は歌ってみませんか。

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